神奈川支部(重延義樹支部長)では、開港150周年を来年に控えた横浜の歴史を垣間見ようと、第11回散策の会「横浜歴史散策」を11月29日に総勢30人が参加して開催した。
秋晴れのもと、早速JR桜木町を出発。その昔に洋行の旅客や貿易物産を載せて港まで走った「汽車道」を赤レンガ倉庫まで歩き、旧税関事務所跡や旧横浜港駅跡を寸見。そして、ベイエリアの「海上保安資料館横浜館」を見学した。
ここには7年前に九州南西海域の交戦で沈没した北朝鮮の工作船が展示されており、一行はその悲惨な姿を見て、国際関係の難しさを再認識した。その後、「日本郵船歴史資料館」を訪ねて、わが国海運の歴史を観賞したあと、昼食会場で交流の輪を広げ楽しい一日を過ごした。
詳細は、神奈川支部HPにてご覧ください。(文=高橋一弘、世話役=藤原ひで子・新開雅子)
2008年11月アーカイブ
チェリークラブ(竹内知行会長)総会が11月29日、本町のシティプラザ大阪で45人が参加して開催された。そして今回初めてチェリークラブ生みの親の故櫻田誉教授のご子息で、甲南大学法科大学院の櫻田嘉章教授にご出席いただき、懐かしいお話をたっぷりお聞かせいただき当時を偲んだ。次回からもご出席いただけることになった。
また、ミスタータイガースの唐渡吉則会員から、今年の阪神タイガースが優勝できなかったここだけのマル秘裏話などを聞くことができた。さらに、唐渡会員より特別ご提供の岩田選手のサインボール、会からタイガース選手のだっこちゃんスタイルの「腕トラ」が抽選で全員に当たった。 (宮腰健次)
11月28日、大阪キャッスルホテルで司法書士関大会(塩田貴美代会長)第48回総会および懇親会が開催され、一軸浩幸会長はじめ多数の友好団体より来賓の列席をいただき、総勢60人の参加となった。
塩田会長は、この1年間は実りの多い年だった。第1に念願であった大学との共催で合格祝賀会を行った。第2に2年前より校友会の弁護士・公認会計士・税理士・司法書士の4士と若手勉強会をしていたが、10月には不動産鑑定士・社会保険労務士を加えて6士で交流会を開催し、この会を「関士会」と命名、各会からの総勢19人の参加で意見を交換した。席上、参加者の中から「現役学生に各士業の魅力・仕事の内容を伝えよう」との意見が出て、実行委員会をその場で立ち上げた。
第3に平成20年度司法書士試験は受験者数33007人、合格者931人、合格率2・82%という狭き門だが、本日この難関を突破してきた合格者2人を招待している。そして総会の議案として、魅力ある司法書士関大会を目指して510年先を見据えた事業活動と予算案並びに役員人事を上程すると述べた。
会則の規定に従い大藪正幸会員を議長に選出し、議案審議が行われた。今回は役員改選の時期であり、塩田会長が再選され3期目を迎えた。
大谷啓二応援団OB長柄会会長の発声で懇親の場に移行した。懇親会では恒例の抽選会が開かれ、参加者全員が次々と福袋を手にした。
なお、選任された役員は塩田会長の他、副会長に武島博・上野義治・山田治作・佐竹正康・磯崎泰博・中村博の6人、幹事長に辻井宏之、会計監事に小島喜代一・重里正信の2人である。 (副幹事長 柴富公行)
西支部(中野英満支部長)は、11月28日に大阪国際会議場で20年度支部総会を開催した。
本部の寺内俊太郎副会長(現会長)はじめ、辻佐一郎大阪支部連合会長など近隣支部からも代表が臨席され、支部会員18人が出席した。
中野支部長の開会挨拶に続き、寺内副会長より大学、校友会の現況について報告があった。
学歌斉唱、事業報告が行われた後、谷口靖弘会員(旅行コンサルタント・大阪芸術短期大学教授)の「旅から分かる世界の事情」と題する講演があり、海外旅行におけるマナーについて具体的な事例を挙げた話しで、「所変れば品変る」か。有益な講演であった。
懇親会では、辻連合会長より連合会結成の目的と経緯、今後の活動方針につき説明があった。山住武司・智則親子、河内克之・美恵子夫妻のような熱心な関大ファミリーの出席があり、感激させられた。最後に山本守昭会計監査が力強く閉会の辞を述べ、母校発祥の地である大阪市西区、当支部の一層の結束と大学への支援活動を促した。 (中野英満)
11月24日、神奈川支部(重延義樹支部長)ゴルフコンペを、神奈川県秦野市の大秦野カントリークラブで開催した。
参加者15人、最終4ホールは雨になったが、悪天候をものともせず野球部出身の高橋俊治さんが優勝した。国定公園丹沢山系を背景に、豊かな自然の秦野を満喫した大会となった。詳細は、神奈川支部HPにて。 (世話役:足達憲一・田中潤一)
11月23日、100周年記念会館において文化会ユースホステルクラブの50周年記念総会が開催され、OB・OG62人と現役部員11人が集った。
第1部は記念総会。開会の挨拶としてクラブ創設者の一人である山田哲氏(38卒)が創部の経緯を述べられ、クラブへの助成と永年クラブの顧問をしていただいた田中昭平名誉教授へのお礼と春の叙勲をお祝いして、感謝の意を表すことを決議した。
続いて役員改選が行われ、会長に岡村正次氏(昭38卒)、副会長に伊藤昌一氏(昭39卒)、事務局に市山二郎(昭45卒)が選出され、新会長の就任挨拶にて総会を終了。
第2部は記念パーティとなり、参加者からクラブ活動の思い出や近況が報告された。特に今でも山に登り、旅を楽しんでいるとの話が沢山あった。
40周年記念総会の時の8ミリが映写され、その時から10年が経過したことを参加者は実感した。この間、クラブの部員が激減、存続問題が発生。OB・OG会と現役部員との問題解決への会合が今は懐かしく思われた。
OB・OG会は、創部50周年を迎え、新たな「旅路」に向かうユースホステルクラブと共に歩むことを決意した記念総会となった。 (市山二郎)
交響楽団OBOG会(谷口眞人会長)は、創立60周年パーティを11月22日にホテル日航大阪で開催、65人が出席し盛会だった。
土倉教授(OBOG会顧問)、徳常准教授(現クラブ顧問)にご出席いただき、黙祷のあと現役の伴奏で学歌、会長、土倉顧問、徳常准教授の挨拶の後に、齋藤義廣先輩の乾杯のご発声で宴が始まった。
昭和24年の第1回演奏会に出演の赤田和也、森宗一、吉野善三郎、西村寿美子(旧姓渡辺)先輩から創立時の苦楽談をお聞かせいただいた。現役齋藤純希団長の挨拶に続いて、岸本文彦、山口文武、市原憲厚ほか各氏から年代ごとのエピソードが披露された。
現役四重奏の演奏の後に、大槻基郎前会長の提案で山本弘指揮によるOBOG弦楽四重奏で宴会はピークとなった。(会長 谷口眞人)
沖縄支部(三宅勲支部長)十九年度総会は、十一月二十二日に昨年と同様、加藤大輝さん(平12経)の勤め先「沖縄ホテル」で開催された。午後六時半の開会は夜型社会の南国沖縄ではまだ宵の口、もしやウチナータイムではと危惧しながら会場に向かうと、そこは我らが関大"規律正しく早々に集まっていた。
本部より中村良介副会長、成岡昭二事務局長代行をお迎えし、総勢二十六人の集いとなったが、今年度は九人もの会員が初お目見えで、さらに平成二桁代の若い校友の参加もあって、いつにも増して活気のある会となった。初参加者では本多克幸先輩(昭30文)がはるばる離島宮古島から駆けつけてくれ、役員を喜ばせた。
オープニングは恒例の学歌斉唱で、今年は寺島広文さん(昭49商)の口上水の都は心斎橋か!..."に続いて関西大学♪...と始まるはずが、オーディオのトラブルでミュージックなしの肉声での熱唱と相成った。お二人の来賓の挨拶、三宅支部長(昭39商)挨拶、十八年度会計報告、役員選任と議事が粛々と進められ、第一部総会を終了。
沖縄支部総会
第二部お待ちかねの懇親会では、バラエティーに富んだホテルの御馳走をいただきながら、一年ぶりに再会の人、初めてお目にかかる方々と、顔が赤らむにつれて話も弾み、楽しい歓談のひとときが過ぎた。初参加者の自己紹介では、それぞれ特徴があって、若い人が物おじせず堂々としている姿には、さすが我らが関大だな"と何かしら我が子のように嬉しく、自慢したくなるような光景だった。
幕締めはもちろん逍遙歌。先輩、後輩円陣となって肩を組み、...はるか彼方、白亜の殿堂を仰ぎつつ..."と、我が旦那(田中順一=昭49工)がマンドリン倶楽部に四年間在籍で培った、正に昔取った杵柄よろしく、寺島さんに続く本日二度目の口上とパフォーマンスに酔いしれ、嵐つんざく鳳の..."と、若かりし日にタイムスリップし、幸せな時を過させていただいた。
なお、この粗稿が沖縄県内二百余人の校友の方々の一人でも多くの目に留まり、来年は更なる盛会とならんことを期待すると同時に、一年に一度の学生時代の思い出に浸れる時を大切にしていきたいと思っています。 (昭449文 田中弘美)
貝塚支部(麻生川章暫定支部長)では十一月十八日、全日空ゲートタワーホテル大阪にて再建総会を開催し、参加者は来賓二人を含め十九人と少し淋しかったが、紅一点が花を添えて有意義な総会となった。
第一部総会は、中野博司氏(33文)の司会進行で始まり、学歌斉唱、物故者への黙祷、麻生川氏(29法)の挨拶があり、来賓の山田拓幸組織部長らから祝辞をいただいた。
次に記念撮影し、再建総会立ち上げに至る経過報告があり、特に質疑応答もなく第二部の役員改選に入り、次の人事を満場一致で可決承認。第三部懇親会では各人自己紹介とテーブルスピーチを行い、和やかに晩秋のひとときを過ごし、再開を約して散会した。
貝塚支部再建総会
新役員は次のとおりである。支部長 岡本俊彦(37法)、副支部長 竹内正(43法)、幹事長 古家勇(43法)、副幹事長 家中昭彦(57商)・七山谷浩平(60商)、常任幹事 川崎元信(48法)・中西敦子(平元社) (前副支部長 麻生川章)
東住吉支部(中村潤一郎支部長)は、11月15日に楓林閣阿倍野店において、校友14人の出席のもと定期総会を開催した。
本部の石川昌司副会長、近隣支部の阿倍野支部の水野芳夫幹事長らのご臨席をいただいた。学歌斉唱、中村支部長挨拶と続き、事業報告、会計報告および事業計画案を満場一致で承認可決した。毎回ながらであるが、今後の組織強化に努力するよう誓いあった次第である。石川副会長より大学の現在の状況等について報告があり、関西大学が常に進歩していると感じられた。
第2部として、当支部の和田直亮会員を講師に迎えて、今後の資産の運用についてのセミナーを開催した。興味のある話しでもあり、みな熱心に耳を傾けていた。
第3部懇親会が、畑校友会事務局長代行の乾杯の発声でスタートした。本年は中国上海からの留学生校友の参加があり、日本と中国の状況や文化の違い等の話を交わした。自己紹介では、各世代の話や体験談など楽しく語り合った。(幹事長 福田尚武)
泉南支部(森本譲支部長)の十九年度総会は、十一月十一日十一時から昨年と同じく大阪湾・関西空港を眼下に望む岬町の「マリンロッジ海風館」で開催され、校友会本部の一軸会長・日根監事らを来賓に迎え、家族会員を含む三十四人が出席した。
第一部総会は、学歌斉唱等に続き、森本支部長は一九八四年十月の支部創設以来二十四年目を迎え、次回平成二十年度総会は二十五周年記念大会となる旨の挨拶を行った。
一軸会長の来賓祝辞を頂いた後、議事に入り十八年度の事業報告並びに十九年度計画など全議案を承認した。総会の締めに、校友上林良一先生の叙勲を祝し、一同から記念品を贈呈した。
続いて第二部は、今までの政経スポーツ講演とは趣向を変え、落語家の林家染太師匠(本名=萩山志行氏・一九七五年生、愛媛県松山北高出身、関大文学部・落語研究部(落語笑会)卒業、繁昌亭出演中)による出張演芸とし、落語二題・津軽三味線・南京玉すだれ等を披露していただき、気晴らしとばかりに一同笑い転げての観賞となり十分堪能した。
泉南支部総会
第三部懇親会は、日根監事の乾杯で始まり互いの親睦を深め、支部ゴルフ大会成績発表、石本副支部長の中締め挨拶と進行し、最後は元応援団長・辻校友の音頭で全員肩を組んで逍遙歌を合唱し、盛会裏に終了した。 (幹事長 築野由照)
明石に迎えた十九年度事業部見学会が盛況裡に終始した満足感の余韻が残る翌日、十一月十一日、明石関大クラブ(鈴木一雄会長)のメンバー十人(二組の家族を含む)が明石海峡・播磨灘のヨットクルージングを体験した。
ヨットは、会計幹事藤本哲也さん(昭48院修・弁護士)が十人で共有する二十人乗りデンマーク製帆船「赤石」。
さすが大型ヨットとなれば、操舵・見張り・帆の係・船長等で六人のスタッフを配置。藤本さんがメンバーの、明石ヨットクラブから応援いただいた。ヨットの内部は、ワンルームマンションを凌ぐ豪華設備で、食堂・寝室・浴室・洗面所・キッチン・洋服たんすが完備。この船は五島列島や屋久島など遠距離航暦も有するが、スピードはゆっくりで、正に時間をぜいたくに使える人が、クルージングの条件のようである。
明石関大クラブヨットクルージング
さて当日は、やや波風ながら快晴に恵まれた。われわれは八時三十分明石港に集合、ヨット上にはすでにスタッフが手際よくロープをたぐり、出港に備えていた。九時出港、一路淡路島西浦の富島港を目指した。洋上は少々の西風で、これも「ジブ帆」という帆を操作して船体を安定させ、海面に浮かぶ「のり網いかだ」を巧みに避ける操船で、二時間を要して港に着いた。
上陸後徒歩二十分、北淡震災記念公園(野島断層保存館)を訪ね、兵庫県南部地震震度七のすさまじさの数々を目の当たりにして、自然災害の教訓を新たにした。昼食は港町ではのおいしい魚料理をご馳走になり、またヨットクラブのみなさんに謝意と懇親を深めているうちに、時間が経ち帰路についた。
海上は予報どおりいささかの荒れ模様となり、舳先がかぶる波浪にヨットが上下して、貴重な体験を満喫して歓声が上がりつつ、やがて明石港に着岸した。 平穏な海上に少しざわめいた波浪が、このクルージングをいっそう楽しくしてくれた一日だった。ちなみに往路・復路とも操舵は藤本さん、そしてスタッフのみなさん、本当にありがとうございました。 (会長 鈴木一雄)
生駒支部(杉岡昌彦支部長)では十一月十一日、十九年度総会を地元のレストラン「メルヘン」で開催した。本部からは一軸会長、片山副会長、近隣支部からは東大阪、八尾、柏原、平野の各支部から代表者が来賓として参加があり、近年にない交友の輪の広がりが見られた。
本部の片山副会長からは、本年の受験生が十万人を超えたこと、私学では早稲田、慶應、立命の三校とともに、母校が文部科学省のグローバルCOEに採択されたこと等、喜ばしい報告があった。
本年の総会では、来年の新年互例会を河内八支部合同で実施されるに際し、八尾支部と生駒支部が合同で幹事支部に指名されたことが特筆され、また五人の新会員の出席があったという嬉しい出来事があった。
生駒支部総会
議事運営では、総合司会として中田副支部長が、議長に東副支部長が各々担当し、松井会計から会計報告、林監査から監査報告があった。その後、杉岡支部長から支部発展に一層の努力をするとの力強い発言があり、また女性会員の拡大に努力したい旨の報告があった。
二部の懇親会では、例年名司会者と折り紙付きの大西副支部長が軽快なタッチで進行役をこなされ、大いに懇親の輪が拡大した。この間、元支部長で現顧問の西野氏と、女性市会議員の有村京子氏から、「最近の企業環境」、「生駒市の現状」という演題で各々講演があった。
終盤では、例年来賓として参加されている前東大阪支部長の鎌田益廣氏からプロの河内音頭の熱唱が披露され割れんばかりの拍手があった。その後恒例の抽選会があり、参加者全員童心に帰った感じで微笑ましい雰囲気の中、東野幹事のリードにより逍遙歌を熱唱し、久保副支部長の閉会の辞で幕を閉じた。 (西野四郎)
11月11日、関西大学会計人会(中村良介会長)は、多数の来賓と会員を迎えて研修会・総会・懇親会を太閤園で開催した。
総会に先立ち、研修部主催による第8回認定研修会が約2時間、37人の参加者を得てオーキッドテラスで開催された。
今回の研修テーマは「中小企業の会計指針について」であり、講師は近畿税理士会の宮口定雄会長と同会調査研究部の永橋利志部長をお招きしての研修会となった。宮口先生からは、自ら携わってこられた「中小企業の会計に関する指針」成立の経緯から、「中小企業の会計」の本質について講演された。引き続き永橋先生から「中小企業の会計に関する指針」の改正点とその中から実務上重要であるリース取引について時間を割いて説明いただいた。
定時総会には、一軸校友会長ほか5人の来賓、5人の参与及び37人の会員をお迎えした。中村会長の挨拶のあと、宮崎副会長を議長としての議事に移り、役員改選など全議案が承認され、宮崎一也新会長が選任された。
エメラルドホールに場所を移して懇親会を開催。参加者全員で記念撮影の後、宮崎新会長の開宴の挨拶で華やかにスタートした。来賓を代表して上原理事長と安部副学長から祝辞を頂戴した後、畑下参与の発声による乾杯で和やかなムードはさらに高まり、5つの円テーブルに分かれての宴は最高潮を迎えた。 (副幹事長 長谷川孝夫)
首都圏支部連合会(南部靖之会長)女子部の懇親会が、秋色濃い十一月四日に神楽坂"で開催された。
当日は小春日和に恵まれ、十四人の参加者は神楽坂毘沙門天・善国寺境内での野外茶会に出席、神奈川支部の川崎美佐子さん(昭46学法)のお点前でお茶をいただいた。
その後、近くのレストランでフランス料理の昼食をとりながら歓談。初対面の人が多いにもかかわらず、楽しい和やかな雰囲気の中での食事となった。
首都圏支部連合会女子部懇親会
このまま解散ではもったいないと、川崎さんにガイドをお願いして神楽坂を散策。『神楽坂がまるごとわかる本』の著者だけに、詳しく丁寧に、二時間余りをかけて案内していただいた。普段、運動不足の人にとっては、いささかオーバーかなと思われたが、喫茶店で一休み、時間が過ぎるのを忘れるほどおしゃべりし、再会を約束して散会した。 (小林寿子)
川西支部歩こう会(湯川捷彦会長)の本年度秋季大会は十一月三日、気温・天候にも恵まれ絶好のウォーキング日和の下、一庫ダム・知明湖周辺約八キロを散策した。
当日、能勢電鉄の光風台駅に朝九時三十分集合。参加者は男子二十九人、女子三人、合計三十二人で開催された。水口博喜支部長の挨拶のあと、駅前で記念写真を撮り予定を少し遅れて出発。
特に今回から母校関大の小旗も用意され、私が指名を受け先導役で知明湖目指して出発。光風台、新光風台等の住宅地を抜ける道すがら、久し振りの校友同志の会話が弾み、楽しい一時を過ごし、車道を歩く所では車の往来もあり事故に注意して誘導、りんどう橋を渡り知明湖を左手に見ながら、一路目的地の一庫公園目指して歩いた。
川西支部歩こう会
公園に辿り着くには、出会いの谷(三百六十段階段)の急坂を登り切る事が要求されるが、今回は女子の参加者もおられ、健脚の方を除き無理をせず階段の途中から右折しデッキウォーク、森の小道を利用して登る事にした。
十一時半頃に全員無事に登り終え、各自公園の広場で持参の弁当やおむすびでの昼食と公園内での散策タイムを楽しむ。午後一時半に公園内の丘の流れに集合、参加者の全員を確認して一庫公園を後にした。
知明湖沿いをぐるりと回り管理事務所で一息いれ、大路地川を渡り川西市郷土館に着き、湯川会長(37工)より今回の催しの終了の挨拶で一旦解散。その後、希望者で郷土館を見学し、無事今回の行事を終了した。 (小西隆廣 昭38経卒)
11月2日、北浜の「大阪美術倶楽部」で茶道部創部60周年の記念茶会を現役学生とOB・OG合同で催した。茶道部にとって10年振りとなる現役・OB合同の茶会で、2年前から実行委員会を立ち上げ、何度も何度も話し合いや練習を重ねた。今回の記念茶会のテーマを「和」と設定し、学生・OBそれぞれが担当する席の趣向を考えて当日お客様をお迎えした。
当日は天気もよく、この日集結したOB・OGは、北は北海道小樽から南は山口県下関まで全部で約100人。OB以外にも他大学の茶道部の方、その他一般のお客様を含め300人強の方に来ていただき、盛会に終えることができた。当日の夜にはホテル日航大阪にて、学生・OBで60周年の祝賀会を催した。こちらには学生・OBあわせて約100人が参加。茶道部顧問 橋隆博文学部教授、ならびに茶道部師匠福原宗寿先生のご挨拶、大先輩の貞利氏(昭27卒)の乾杯に始まり、会は賑やかに和やかに進み、最後には学歌、逍遙歌の大合唱、そしてエールで締めくくられた。(洗心会会長 高萩勝美)