活発な支部活動

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南勢支部
悲運の名投手偲び追悼試合 支部会員や中勢支部長も応援

 太平洋戦争で戦死した三重県伊勢市出身の元プロ野球選手、西村幸生(1910.45年)と沢村栄治(1917.44年)両投手の母校による追悼試合が終戦記念日の8月15日、同市の市営球場であり、若くして亡くなった先輩への思いを込めてプレーした。南勢支部(時田耕路支部長)では親睦を兼ねて応援、岡本中勢支部長も加わった。
 西村幸生さんは伊勢市宇治山田中学から昭和6年関大に進み、野球部主将兼投手として4シーズンにわたり連続優勝。昭和12年に阪神タイガースに入団。主戦投手として12年、13年と日本選手権で連続優勝。その後戦争の激化とともに召集され、昭和20年に戦死を遂げた。沢村投手も3度目の出征で、27歳で命を落とした。
 西村さんの生誕100周年にちなみ、同氏の母校、宇治山田高(旧宇治山田中)の野球部OB会が「現役の球児に、平和の中で野球ができる喜びを知ってほしい」と対戦を企画。沢村さんの母校、京都市の京都学園高(旧京都商業学校)もそれを快諾。試合には両校の野球部員計60人が参加した。

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 開会式では、米国ハワイから駆けつけた西村の長女、ジョイス津野田幸子さん(72)=写真中央=が西村さんとの思い出や家族からの誕生日メッセージを読み上げ、「プレーボールは西村幸生の前を向いて困難を乗り越えていく人生の掛け声でした。今日の試合を始めましょう、プレーボール!」と声を響かせた。試合途中の正午には球場全体で黙祷を捧げた。試合は10対1で京都学園高が大勝したが、選手らは恵まれた環境で野球ができる感謝の気持ちを込めて、最後まで集中していた。(時田耕路)

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