(関西大学外国語学部 正高杜夫)
関西大学を休学して、ベトナムのホーチミンでインターンシップをしている者です。先日、そのホーチミンで関西大学の同窓会「サイゴン千里会」が催されるという話を耳にし、海外で活躍される先輩方のお話を聞きに参りました。校友会の方々も出席されるということでしたので、そのご縁で、このように筆をとる機会を頂いています。このスペースで、そのサイゴン千里会、また国際インターンに関して少しだけ思う所を綴らせて頂きます。
私は大学という組織を一時的に抜け、ベトナムに来てからというものの、様々な国籍、人種、年代の方々とお話をさせていただく機会がありました。サイゴン千里会も、海外で活躍される関西大学のOBの方々とお話をさせていただけるよい機会となっています。そのような中でひとつ気付かされたことがあるのですが、それは大学生同士のコミュニケーションの型の奇妙さというものでした。
ベトナムで私が仕事仲間や先輩方と話すたびに、なぜか必ずと言っていいほど話題に上ることに「ベトナムに来た理由」や「将来の希望」といったことがあります。そのような話題に根付いた会話の中で私は、それぞれの国籍、人種、年代の様々な立場から真剣な受け答えを頂くことが出来、そのたびに、新鮮な驚き、喜び、落胆がありました。
一方、大学に在籍していた時にはそのような真摯な受け答えというものが得られなかった経験があります。私が一年間海外に出るということは個人的に大きな決断であり、在学中にはよく学部の仲間、サークルの友達にその旨を相談しました。そこで帰ってきた返答というものはどこか無責任、人間関係にヒビを入れたくないから当たり障りのない返答をしておこう、そういった示唆をもつものです。「へーすごいね」や「やったらいいじゃん」という返事を何度聞いたことか。ネット上で、気持ちのこもってない「いいね」で意思疎通が図れるような気がしてしまう時代という事も、あるかもしれません。学生同士の人間関係という中では、どこか希薄で、嫌われなければいい、小さなコミュニティでひとつのポジションを築けていればそれでいい、そういった考えのもとに対話が行われ、自分の主張をしっかりと相手に届けるといったことが難しいのかもしれません。
しかしながら、学生が良い大人として成長をしていくということは、自分のいたらなさ、欠点を知りそこを改善していこうとする努力から始まるのではないでしょうか。学生間のお互いの欠点を馬鹿にして笑いあう会話の中だけでは、自分の至らないところを会話の中で気づき、うけとめて、向き合おうとする気持ちが生まれづらいのではないでしょうか。
関西大学校友会の方々、教授方が、「サイゴン千里会」のように、学生により多くの気づきをもたらすコミュニケーションの場を提供していただけることを心より願ってやみません。