鹿児島千里会
関関同立・宮崎と交流の輪
地域で交流、さらに学縁も
鹿児島千里会(桐原琢磨会長)の25年度総会が、10月5日、鹿児島市のプラザNで開催された。来賓の田中義昭校友会副会長、前村幸夫宮崎千里会会長、そして交流活動として同志社同窓会中塚洋子会長と小倉正和幹事長、関西学院同窓会徳田穣支部長、立命館大学校友会川窪宏一事務局長らと校友の23人が参加した。
黙祷、学歌斉唱に続き、桐原会長(53学法)は、挨拶で「宮崎と鹿児島の交流、そして関関同立の交流の輪を広げて、母校の発展に寄与を」と訴えた。議事では、事務局から事業・会計報告が行われた。
懇親会に移り、来賓紹介のあと、田中副会長の挨拶、奥田課長の乾杯の発声で開宴した。
今回特記すべきは、遠路参加で奄美大島のばしゃ山リゾートの祷敏郎校友(53社)、今後女性校友参加の中心的役割に期待の持てる川越美咲校友(平25外国)の参加があった。スピーチの中で、立命館川窪氏は「本日の参加者の間では、地域社会ですでに交流があり、さらに学縁でもあるケースを多く感じさせられた」ということに集約できる今回の集いであった。
翌日、田中副会長と奥田課長は、時任の案内で南さつま市の「万世特攻平和記念館」を慰霊訪問された。横田健一先生の句碑「若鷹は沸き立つ雲指し翔け入り」に感銘しつつ、「よろずよに」の碑に献花を行い、名誉館長であった故苗村七郎校友(18大経)の、特攻隊員の慰霊に尽力し、歴史の遺品を後世に伝えたいという業績に触れた。
近年、学徒出陣の記録を歴史遺産として後世に残そうという機運があり、最近、慶応大学の様子が報道されたが、苗村校友の「ペンを操縦桿に置き換え、戦役に赴いた」のごとく、散華された巽清造校友( 17二専)、そして、「学徒出陣最後の早慶戦」の映画にもなった壺井重治早大校友の遺書遺品が展示してある。
25年4月14日に慰霊祭があり、例年のごとく支部では桐原会長他7人が参列献花を行い、この公式慰霊祭における関西大学の存在意義を堅持している。
(時任博幸・昭50商)
(時任博幸=099―264―7806)