活発な支部活動

活発な支部活動

河内近隣支部新年互礼会
102名が集う!

 

                                                                                                    河内長野支部 (榎本正人支部長)

                                                                           藤井寺支部    (國下和男支部長)

いにしえの高野街道を歩く

 河内長野は京都、大阪・泉州堺方面から高野山へ向かう東・西・中・下の4つの高野街道が合流する高野山詣での入り口に位置しています。いにしえは高野詣での最後の宿場町として大変賑わっていたそうです。そのため三日市駅から河内長野駅にかけての街道沿いは歴史ある街並みが残っています。三日市宿から上田宿を経て長野・西條合資会社(天野酒醸造元)の酒蔵まで歩く事にしました。このコースに河内近隣支部から17名が参加されました。1月25日午後2時30分ピッタリ集まった方々と記念写真。最初に再開発された街と一変した高野街道の景観の一郭を担う八木邸母屋(当支部校友宅で元蔵元)。松川邸(当支部校友宅、元 副本陣旅籠鍋屋)。天誅組も脚を留めた請れのある宿場本陣油屋跡(亡当支部校友)。明治・大正時代の治安を担った木造建て交番(当市指定文化財)の歴史を峯校友から聞き、松屋坂を上り上田宿の増福寺(室町時代守護職の法名から)境内の高札板の説明を支部の太田校友から受け、戦国時代の土塁や空堀の残る烏帽子形城址、同八幡神社本殿(入母屋桧皮葺、重要文化財)に参拝。一路東・西高野街道の合流付近に所在する酒蔵へ

(文責 湯川 勝) 

 

互礼会酒蔵見学写真②.jpgのサムネイル画像造り酒屋の蔵見学                                                  

西條酒造は河内長野駅から徒歩5分で支部校友の西條陽三蔵主が営む造り酒屋です。蔵沿いは常夜灯と杉玉が昔の高野街道としての歴史的景観を残しています。天野酒は享保3年(西暦1718年)以来の歴史を持ち、酒蔵旧店舗の母屋と土蔵は平成16年国の登録文化財に指定され、南朝の府であった「 金剛寺」の僧坊酒「天野酒」は先駆的な段掛法で醸され、木炭を加えずに清澄する手法を採用しており、楠木正成を始め織田信長、徳川家康等「天野比類無シ」「美酒言語ニ絶ス」と高い評価を受け、太閤秀吉も朱印状を下す程愛飲した河内長野に残る地酒です。このルーツを持つ此度の酒蔵見学は河内近隣支部校友47名が参加、蔵主の西條氏に酒蔵を案内して頂き、酒造りの工程を自家精米→洗米→浸漬→蒸→種麹→酒母→醪→上槽→滓引→火入れ→貯蔵→瓶詰め→火入れ→出荷と詳細に説明を受けた。市販酒として普段家庭で燗酒を飲むと3回火入れした酒を飲むことになると聞いた時の校友の驚き、約40分の見学会でした         

 

(文責 上田耕造)

 

歓談飛び交う懇親会 

       互礼会オープニング写真.jpgのサムネイル画像 「ドドーン」一瞬にして会場が互礼会鏡開き写真.jpgのサムネイル画像静まり緞帳が上がっていく。10数名の若者が大太鼓・小太鼓のばち捌きも鮮やかに演じている。府立河南高校の和太鼓部のオープニングで始まり、力強い響きと華やかな舞い。感動の余韻の残る中、幹事支部を代表して榎本正人支部長が歓迎の言葉。続いて各支部の紹介。代表して八尾支部の中尾達夫支部長から挨拶を頂き粛々と進む。スポットが菰樽を照らし前年・今年・次年度の幹事支部の代表者が関大の法被を着て「ヨイショ」と鏡割り。金銅晃羽曳野支部長の発声で「カンパーイ」。宴では談笑 互礼交歓と時の流れが早い。互礼会逍遙歌写真.jpgのサムネイル画像利き酒大会が始まり会場と舞台が一体となってお酒の鑑定・品評。そして表彰とイベントも歓談も盛り上がりの中、橋本支部の植島義信校友は円陣を見渡し「イヨーゥ」の気合で逍遙歌の合唱。幹事の藤井寺支部の梶谷健二前支部長からお礼の言葉で幕を閉じ、天野酒の酒粕と河内長野支部が栽培したみかんをお土産に閉会した。

                              (文責 木下幸勇)

 

 

 

                                                                                         

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