富田林支部
地元にある古代の錦織地区を巡る
25人が参加し第16回歴史散歩の会
富田林支部(杉本孝支部長)では、6月2日に第16回歴史散歩の会を実施し、校友家族も含めて25人が参加した。
今回は、富田林支部として、初めて地元の富田林市内を歩いた。講師は、今回も鍋島隆宏氏(平5文・太子町学芸員)に依頼。自作の貴重な資料により、古墳や道標について分かりやすく丁寧に解説していただいた。
集合の近鉄滝谷不動駅を出発後、錦織高砂町の東高野街道沿いに建つ神南辺の道標の説明を受けた。この道標は、富田林市内で最も大きいものであり、槇尾山(西国第4番札所)から葛井寺(西国第5番札所)へ行くことを示す道標である。
次に大谷大学博物館で、「鶏林の考古学」が催されており、博物館の学芸員から詳しい説明を受けた。「鶏林」の名は新羅の脱解王9年(西暦65年)に遡るものであり、朝鮮半島古代の「鏡・瓦・壺・像」等の展示があり、興味深いものがあった。
次に錦織公園で「堂の山古墳」の説明を受けた。この古墳は、同一墳丘内に2石室を持つ我が国や朝鮮半島に類例のある希少な古墳であり、築造年代は7世紀後半で、被葬者は朝鮮半島からの渡来人集団の首長ではないかと考えられている。
錦織公園で昼食の後、東に向かい石川を渡り、富田林では南部にあたる伏見堂地区に入った。ここには、6世紀に築造された西野々古墳群があり4基の古墳で構成されている。西野々古墳群が平野に築造されたのち、東方の丘陵上に田中古墳群が、南方の山腹に20数基からなる嶽山古墳群が築造されたと考えられている。富田林市にもこのような古墳群があるのを初めて知ったものであり、遺跡等の保存の必要性も感じたものである。
当日は、天気にも恵まれ有意義な一日が過ごすことができ、次回と総会の参加を約束して、近鉄汐ノ宮駅で解散した。歩いた距離は約5kmであった。
最後に、神南辺の道標については地元校友の田中寛章氏(昭43法)の教示を受けたものであり、厚くお礼を申し上げます。
(幹事長 秦純一)
(秦純一=0721-93-3085)