川西支部
第18回史跡探訪を開催 「中山荘園古墳」を中心に
爽やかに晴れた春天のもと、今回は宝塚市の「中山荘園古墳」を中心に史跡を探訪した。折しも中山寺では満開の紅梅、白を愛でて快適な春の一日となりました。
本年は御代替わりの年でもあり、天皇陵に多く採用されている「八角陵」について学んだ。
万葉集にある柿本人麻呂の長歌「やすみ知し あご大君の聞しめす 天の下に国はしも 多(さは)にあれども・・・」の「やすみしし」とはわが大君に掛かる枕詞であるが、八角(やすみ)(四方八方・世界)をしろしめす(治める)と、安見知し(安らかに見そなわす)の意で持統天皇の御代を寿ぐ祝詞である。この特別な八角陵墓が現在も整備されて保存されている。
被葬者は物部氏一族の若湯坐連(わかゆえのむらじ)(天皇家の乳母役、御食国(みけつくに)役を担った)の祖である、物部意富売布(おおめふ)関係者と考えられている。
史跡探訪の会・菅原巌名誉会長から詳細な解説をいただき、近場にこのような貴重な遺跡があることに驚き、たいへん勉強になったことである。因みに川西市から宝塚市にかけての長尾山系には200を超える古墳があるそうだ。
東へ数百メートルにある中山寺は近年納骨堂と五重の塔が新設されて立派な伽藍が構成されている。ここでは「白鳥塚(はくちょうづか)古墳」(忍熊皇子が死後白鳥となって飛び去ったとの伝説がある)を訪ね大仲姫の墳墓、横穴式石室と家形石棺(石の唐櫃(からと))を見学した。
(史跡探訪の会会長 仲井 徳)