富田林支部
第18回歴史散歩の会 山の辺の道を歩く
富田林支部(杉本孝支部長)歴史散歩の会では、6月2日歴史散歩の会を実施し、校友家族も含めて23人が参加した。
前回から、山の辺の道をJRの駅を一駅ずつ歩くということに取り組み、今回は近鉄大和朝倉~JR三輪駅を歩いた(前回はJR巻向~JR柳本)。
講師は、今回も鍋島隆宏氏(H5文・太子町学芸員)に依頼。自作の貴重な資料により、様々な遺跡について分かりやすく丁寧に解説していただいた。
近鉄大和朝倉駅を出発後、慈恩寺追分の辻を訪ねた。奈良から長谷寺への参詣道が通り、近くに廃寺となった慈恩寺があったが、現在は道標が存在するのみである。
次に欽明天皇磯島金刺宮跡があり、ここでは欽明天皇の説明を受けた。
仏教公伝の地では、伝来の年次が552年と538年の2説があるが538年説が有力であることや、百済からの伝来であることの説明があった。
海石榴市跡では、横大路と上ツ道若しくは山辺道、磐余山田道、初瀬道との交点付近で初瀬川(大和川)の近くで水陸交通の要所であり、多くの人が集まり歌垣が行われたとのことであった。
金屋の石仏は、お堂に2体の石仏が収められており、釈迦如来と弥勒菩薩と伝えられており、平安時代後期の作と考えられている。
崇神天皇水籬宮跡では、崇神天皇の説明、河内王朝説、江上波夫氏の騎馬民族説、崇神天皇の「御肇国天皇」・神武天皇の「始馳天下之天皇」との2天皇の名前を「ハツクニシラス天皇」と読み、欠史8代・9代の説明があった。日本古代史の成り立ちに関する説明であった。
平等寺では、薩摩藩とのかかわりの説明の後、大神神社前の福神堂で昼食。ビールも少し入った関係か和気あいあいと談笑していた。講師の話を聞き足りないものは、講師に質問するものもいた。三輪素麺の本場であり、にゅう麺はおいしかった。
昼食後は大神神社、狭井神社にお参りした。大神神社は大和の国一宮であり旧官幣大社。背後の三輪山がご神体である。「古事記」には疫病が蔓延したとき大物主大神を祀ったところ疫病が止み国内は平静になったという所伝を載せている。世俗的には酒の神として知られ、古来酒造家の尊信が厚いものであった。狭井神社は大神神社の摂社であり、垂仁天皇の時代に疫病を鎮めるために創建されたと伝わっている。
最後に大美和の杜展望台に登り一面を見渡した。展望台からは大和三山(耳成山、畝傍山、香久山)が一望できるはずであった。正面の桜の木が大きくなり少し眺望的には残念であった。下見に行ったときは葉が茂っておらず素晴らしい眺めであった。
新参加の人との新しい出会い、新しい発見の楽しい一日であった。JR三輪駅で、総会及び次回の参加を約して解散したものである。
(幹事長 秦純一)